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印象派といえば、移ろう光や大気とともにとらえた戸外の風景がまず思い浮かぶのではないでしょうか。 とはいえ、彼らの最初のグループ展が開かれたのは、近代化が急速に進む
1870 年代のパリ。 この活気に満ちた大都市や、その近郊における現代生活の情景を好んで画題とした印象派の画家たちは、室内を舞台とする作品も多く手がけました。 |
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本展では、「印象派の殿堂」 ともいわれるパリ・オルセー美術館所蔵の傑作約 70 点を中心に、国内外の重要作品も加えたおよそ 100 点により、室内をめぐる印象派の画家たちの関心のありかや表現上の挑戦をたどります。 |
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会期: 2025 10/25 [土]~2026 2/15 [日] 開催中です。 |
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'2025 10_24 「オルセー美術館 印象派 室内をめぐる物語」 のプレス内覧会の館内風景の取材と、図録・資料などからの抜粋文章です。 |
・画像をクリックすると 「田中 正之(国立西洋美術館 館長)、村岡 彰敏 (読売新聞社 東京本社 代表取締役社長)、アンヌ・ロビンス (オルセー美術館 絵画学芸員・本展キュレーター)」 のご挨拶が大きな画像でご覧いただけます。 |
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「オルセー美術館所蔵 印象派 室内をめぐる物語」 |
※見どころ |
「オルセー美術館所蔵 印象派 室内をめぐる物語」 の展覧会、全 Ⅰ~Ⅳ 章の構成。 |
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カタログ | Catalogue |
・画像をクリックすると 「 Ⅰ-2 装飾としての女性/ Ⅰ-3 家族の肖像 」の拡大画像がご覧いただけます。 |
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【 Ⅰ 室内の肖像―創作の空間で/モデルを映し出す部屋で Impressionist interiors: Places of creation, spaces for representation】 |
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かつて肖像画の注文主はおもに王侯貴族に限られていたが、19 世紀後半にはフランスの中産階級および上層中産階級のあいだでも徐々に広まっていく。
またこの時代、歴史画を頂点とするアカデミックな画題は時代にそぐわぬものと目され、いまやフランスの有力者たちの関心は、かつて歴史画より下位とされていた風景画や肖像画へと向かっていた。
こうした動きは第三共和制期にいっそう強まってゆく。 たとえば 1876 年、作家のエミール・ゾラは、同年のサロン(官展) 出品作の実に四分の三を肖像画が占めると述べている。
前衛的な画家たちもこのジャンルに熱心に取り組んだ。 1861 年にはエドゥアール・マネが 2 点の肖像画でサロンへの初出品を果たし、まもなく
「印象派」 と呼ばれるようになる若きクロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワールも、1860 年代に友人や家族、顧客の肖像画によって最初の注目を集めた。 |
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左・No.1 フレデリック・バジール 《バジールのアトリエ(ラ・コンダミンヌ通り)》 1870 年 油彩/カンヴァス 98.0 x 128.0cm オルセー美術館、パリ / ・No.2 フレデリック・バジール 《ピエール=オーギュスト・ルノワール》 1867 年 油彩/カンヴァス 61.2 x 50.0cm オルセー美術館、パリ / 右・No.6 エドゥアール・マネ 《ステファヌ・マラルメ》 1876 年 油彩/カンヴァス 27.2 x 35.7cm オルセー美術館、パリ |
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・No.1 フレデリック・バジール 《バジールのアトリエ(ラ・コンダミンヌ通り)》 本作は、バジールが 1868 年から 1870 年にかけて友人のルノワールと共有していたアトリエを描いている。 右端では、音楽家で印象派の最初期の支持者エドモン・メートルがピアノを弾いて、階段下で座っているルノワール、階段上から身を乗り出しているのがエミール・ゾラとする説がある。 / ・No.2 フレデリック・バジール 《ピエール=オーギュスト・ルノワール》 バジールは休んでいる瞬間の友人ルノワールを素早いタッチで描いている。 画家は経済的に困窮していた友人を時おりアトリエに住まわせていた。 / ・No.6 エドゥアール・マネ 《ステファヌ・マラルメ》 本作は感謝の印に描かれたものであり、当時 34 歳の文学者マラルメと、10 歳年上の画家エドゥアール・マネとの強い結束を表している。 |
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・画像をクリックすると 「 Ⅱ-2 私的な日課―入浴、身づくろい 」の拡大画像がご覧いただけます。 |
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【 Ⅱ 日常の情景―気晴らし、夢想、親密さ Scenes of everyday life: Entertainment, reverie, intimacy】 |
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19 世紀の都市生活においては職場と住居の分離が進み、公共的・社交的な領域と、私的な家庭との境界がより明確になっていった。 それに伴い、慣れ親しんだ家は、息の詰まるような慌ただしい外界からの避難場所―すなわち心に安らぎを与える憩いの場となりえた。
このモティーフの新しさに惹かれた先進的な画家たちは、くつろいだ家庭の中で余暇や手すさびに興じる人々を情感豊かに描き出している。 |
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左・No.37 エルネスト・デュエズ 《ランプを囲んで》 1882 年頃 油彩/カンヴァス 150.5 x 175.0cm オルセー美術館、パリ / ・No.26 エドゥアール・マネ 《ピアノを弾くマネ夫人》 1868 年 油彩/カンヴァス 38.5 x 46.5cm オルセー美術館、パリ / 右・No.34 クロード・モネ 《瞑想、長椅子に座るモネ夫人》 1871 年 油彩/カンヴァス 48.2 x 74.5cm オルセー美術館、パリ |
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・No.37 エルネスト・デュエズ 《ランプを囲んで》 本作でデュエズが関心を示しているのは、家庭内における親密な一場面であり、二人の若者がチェスに興じ、その様子を年嵩の女性が見守っている。 愛の象徴であるピンクの紫陽花が咲き誇り、室内空間の調和において花に重要な役割が与えられている。 / ・No.26 エドゥアール・マネ 《ピアノを弾くマネ夫人》 マネ家の音楽会で、しばしばマネの妻シュザンヌがピアノ演奏を披露した。 彼女はオランダ出身の優れたピアニストでマネ家のピアノ教師を務めていた。 / ・No.34 クロード・モネ 《瞑想、長椅子に座るモネ夫人》 ここに描かれているカミーユ=レオニー・ドンシュー(1847-1879) は、18 歳で 7 歳年上のモネと出会い、作品のモデルを務めるうちに二人は恋仲となった。 彼らは 1870 年 6 月に正式に結婚する。 花柄のソファに腰掛けるカミーユは、虚ろな表情で窓の方を見やっている。 |
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・画像をクリックすると 「Ⅲ-2 私的な日課―入浴、身づくろい 」の拡大画像がご覧いただけます。 |
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【 Ⅲ 室内の外光と自然―取り込まれる風景、植物 Making space for nature inside the home】 |
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印象派による室内画は、壁に囲まれた閉鎖的な屋内空間を描いたものにとどまらない。 戸外制作に励み、移ろいゆく光や大気の効果を捉えることに長けていた彼らは、自分たちの描く室内に自然を取り込み、外の風景を家の中に招き入れた。 彼らはしばしばバルコニーやテラス、温室を作品の舞台に選んだ。
そうした屋内と屋外の境界に位置する 「あわい」 の空間を描いた作品では、窓越し、あるいは欄干の向こうに庭の眺めや風景が広がっている。 こうした眺望は、外光が室内へと入り込むのを促したのだった。 |
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左・No.46 アルベール・バルトロメ 《温室の中で》 1881 年頃 油彩/カンヴァス 235.0 x 145.0cm オルセー美術館、パリ / ・No.47 「アルベール・バルトロメ夫人のドレス」 1880 年 綿 オルセー美術館、パリ / 右・No.57 ピエール=オーギュスト・ルノワール 《グラジオラス》 1885 年頃 油彩/カンヴァス 75.0 x 54.5cm オルセー美術館、パリ / ・No.55 ポール・セザンヌ 《大きなデルフト陶器にいけられたダリア》 1873 年頃 油彩/カンヴァス 73.0 x 54.0cm オルセー美術館、パリ |
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・No.46 アルベール・バルトロメ 《温室の中で》 画家バルトロメは、パリの豪華な自邸の庭に建てられた温室で、妻ペリーの全身肖像を描いた。 彼はこの作品において、色彩への関心、そしてモティーフに及ぼす光の効果への関心を印象派の画家たちと共有し、妻に向ける眼差しは優しく、愛情に満ちている。 バルトロメは 1884 年のサロンに本作を出品する際、幸福なひと時の雰囲気を捉えた 《温室の中で》 と題することを選んだ。 / ・No.47 「アルベール・バルトロメ夫人のドレス」 妻のペリー・バルトロメは本作が描かれてまもなく病に倒れ、1887 年に亡くなる。 画家は、この輝かしい一日の思い出をいつまでも大切にして、絵画だけでなくドレスも終生手放すことはなかった。 / ・No.57 ピエール=オーギュスト・ルノワール 《グラジオラス》 1880 年代半ば、ルノワールは、移ろう光を追い求めた印象派の手法を超えて、堅固で永続性のある表現の探究へ向かっていた。 本作はルノワールの古典主義時代の始まりに位置する。 / ・No.55 ポール・セザンヌ 《大きなデルフト陶器にいけられたダリア》 1873 年親密な関係にあったピサロの紹介で印象派の重要な支援者医師ガシェの屋敷に招かれ、この滞在中に描かれた本作は、ピサロから学んだ印象派の色彩表現への関心が見て取れる。 後にガシェ家で本作を見て刺激を受けたファン・ゴッホは、よく似た構図の花卉画を描いている。 |
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・画像をクリックすると 「Ⅳ-2 屋内の風景、あるいは内なる風景 」の拡大画像がご覧いただけます。 |
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【 Ⅳ 印象派の装飾―室内への新しいまなざし Impressionist decorations: A new vision of interiors】 |
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有用性や産業と結びついた応用芸術としての装飾美術は、絵画・彫刻・素描といった純粋芸術に対し、低級で浅薄な表現形態と見なされてきた。 しかしこうした階層的な区別は、19 世紀末にかけて次第に曖昧になってゆく。 1855 年以降に開催されたパリ万国博覧会で産業・応用芸術が積極的に振興されたことで、この 「装飾」 という複雑な概念に新たな視点がもたらされ、再評価が進んだのだ。
この時代に画家たちが何より望んだのは、名誉のみならず高い報酬をもたらし、キャリアの後押しともなる公共建築の装飾を請け負うことだった。 |
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左・No.87 ピエール=オーギュスト・ルノワール/リシャール・ギノ 《置時計 「生の賛歌」》 1814 年 ブロンズ、ロストワックス鋳造 高 71.0 x 幅 51.2 x 奥行 27.5cm オルセー美術館、パリ /・No.85 シャルル=ジュスタン・ル・クール 《ジョルジュ・ビベスコ公の邸宅設計案(断面図)》 1870-1872 年 鉛筆、黒インクのペン、水彩、淡彩、グアッシュと金のハイライト/紙 61.5 x 96.5cm オルセー美術館、パリ / ・No.86 シャルル=ジュスタン・ル・クール 《ジョルジュ・ビベスコ公の邸宅設計案(大階段の断面図、大広間の天井、食堂の天井、武具に間の天井)》 1870-1872 年 鉛筆、黒インクのペン、水彩、金と白のグアッシュのハイライト/紙 62.2 x 95.0cm オルセー美術館、パリ |
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・No.87 ピエール=オーギュスト・ルノワール & リシャール・ギノ 《置時計 「生の賛歌」》 晩年、ひどいリューマチに悩まされたルノワールは、彫刻家マイヨールの弟子リシャール・ギノ(1890-1973) の助力を得て 20 点ほどの彫刻などを制作している。 本作は室内装飾のための置時計として複数鋳造されている。 / ・No.85 シャルル=ジュスタン・ル・クール 《ジョルジュ・ビベスコ公の邸宅設計案(断面図)》 / ・No.86 シャルル=ジュスタン・ル・クール 《ジョルジュ・ビベスコ公の邸宅設計案(大階段の断面図、大広間の天井、食堂の天井、武具に間の天井)》 建築家シャルル=ジュスタン・ル・クールは、1868 年にルーマニアの貴族ジョルジュ・ビベスコ公からパリの邸宅の設計を依頼され制作した設計図(No.85・No.86) では、17 世紀のパリの邸宅建築を参照した建築様式が窺われる。 建設にあたてル・クールは内装を、1865 年から親交を深めたルノワールに協力を求め、若きルノワールは客間の天井画と、武具の間の室内装飾など任され現場で制作した。 |
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参考資料:「オルセー美術館所蔵 印象派-室内をめぐる物語」図録・ 展覧会表示パネル、報道資料、チラシ など。 |
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